直立不動もままならぬ。
2002年3月17日去年はあんな事やこんな事をやりすぎ
膀胱炎になったワタクシですがさて今年は。
驚け。
「ギックリ腰。」
どーなのアタシよ。
いやちょいと聞いて下さいよアナタ。
土曜にですね、惰眠を貪って夕方に目覚めたんですよ。
んで意気揚々とマイハニー紅茶嬢と飲みに出かけるべく
ボーボーの頭ぼりぼり掻きつつ支度始めました。
冷中華始めました。
混乱してます。
春も本格的に始まった様子の今日この頃、
花粉も本格的に僻地のワタクシの部屋に入り込んでおるようで。
へっぷしっ。
瞬間。腰が抜けました。
あーあーあー。
始めて聞いた方はもれなく
「カトちゃんと同じだ」
と言ってくれやがるワタクシの情けないくしゃみをかますと。
その場ですっとーんと尻を付いてから全く動けなくなり
っつうか動くどころじゃなかったんじゃいコラなんですが
横っとびにすったおれまして。
あんまりの腰の痛さに数分うずくまったままになり
その瞬間今日起こるはずだった楽しい時間の事や
これからの仕事の事やセッ
そんな事が脳裏を掠めました。
数分平伏しているウチに体はどんどん冷えて来て
あまりの痛みと寒さに体中がふるえ始める有様。
数分の後、このままほうっておくのはイコール死だと言う事に
いい加減気付いたのでまずその日一緒に飲むはずだった某人へ電話を。
「あの、腰がね、抜けたみたいで身動きがとれないの。」
すると某人。
「寝すぎなんじゃねーの。」
ココロに傷をふかーく負ったワタクシは諦めて姉へ電話。
繋がらねえ。
留守電にすらなってねえ。
絶望。
なぜか藤井隆が頭の中でくるくるとまわっておりました。
その後ワタクシの中で腰痛もちの第一人者、
「食えるなら死ぬまで食おうケーキバイキング友の会」
会員の友人へ電話をすると。
「とっとと救急車を呼べ。」
呼ぼう。
しかしここで大変な事に気付きました。
部屋のドアまでたどり付けないワタクシ。
カギが開けられません。
人命を救うという大任を仰せつかっている救急隊員のこと。
瀕死の人がいれば自らの命も顧みないヤツラは
ウチの様なカギのかかっている部屋へは。
窓をぶちやぶって入る事も辞せず。
…。
考えましたよさすがにさあ。
だってアナタギックリ腰で窓大破ですよ。
その後の生活どーすんですか。
やむなく唯一私の部屋の合い鍵の持ち主、
ザ・親父を待ちました。
その間やっとサイズオブ事態の大きさに気付いた某人や
連絡の取れた姉に励まされつつ
ヒーターの方へヒーターの方へ足をずらし
10センチ程動かしてはひいひい言いながら
親父の到着を待ちました。
その間2時間。
そして救急車到着後、御近所のおばちゃんたちの
「まあまあどうしたの」やら
「困った事があったら言ってね」の
マッシモなお世話に見送られ担架で運ばれるワタシでした。
あー。
もうそろそろ座ってパソコン向かってるのも限界です。
腰が痛いです。
面白いのはこのあたりまでなので
その後の経過を簡単に言うと
病院では先に救急で来ていたお子様にセンセにはかかりっきりで
アタクシは看護婦さんに痛み止めの座薬を突っ込まれ
「ぁおうふっ」
となったりそれが全然効かず注射を刺されたりの処置のみでした。
結局ようやっと3歩歩いては腰が抜けたりしながらも
歩いて移動出来る様になったので
なんとかその夜のウチに無事家へ帰る事ができました。
寝たきり。
今後仕事とかどうしよう、と真剣に思っております。
あ〜あ〜やっと見つけた仕事だったのに。
や、ここで負けてなるものか。
ぜってえ完治して仕事続けようと思います。
アイルビーバックだこのやろう。
あ、そうそう。
姉に電話が繋がらなかった理由。
「献血してたから携帯切ってた。」
血出しすぎて死んでしまえ。
今日もきもち欄に「でも夕飯作りに来てくれたからプラマイゼロ」
が無いので泣く泣く「普通」で。
膀胱炎になったワタクシですがさて今年は。
驚け。
「ギックリ腰。」
どーなのアタシよ。
いやちょいと聞いて下さいよアナタ。
土曜にですね、惰眠を貪って夕方に目覚めたんですよ。
んで意気揚々とマイハニー紅茶嬢と飲みに出かけるべく
ボーボーの頭ぼりぼり掻きつつ支度始めました。
冷中華始めました。
混乱してます。
春も本格的に始まった様子の今日この頃、
花粉も本格的に僻地のワタクシの部屋に入り込んでおるようで。
へっぷしっ。
瞬間。腰が抜けました。
あーあーあー。
始めて聞いた方はもれなく
「カトちゃんと同じだ」
と言ってくれやがるワタクシの情けないくしゃみをかますと。
その場ですっとーんと尻を付いてから全く動けなくなり
っつうか動くどころじゃなかったんじゃいコラなんですが
横っとびにすったおれまして。
あんまりの腰の痛さに数分うずくまったままになり
その瞬間今日起こるはずだった楽しい時間の事や
これからの仕事の事やセッ
そんな事が脳裏を掠めました。
数分平伏しているウチに体はどんどん冷えて来て
あまりの痛みと寒さに体中がふるえ始める有様。
数分の後、このままほうっておくのはイコール死だと言う事に
いい加減気付いたのでまずその日一緒に飲むはずだった某人へ電話を。
「あの、腰がね、抜けたみたいで身動きがとれないの。」
すると某人。
「寝すぎなんじゃねーの。」
ココロに傷をふかーく負ったワタクシは諦めて姉へ電話。
繋がらねえ。
留守電にすらなってねえ。
絶望。
なぜか藤井隆が頭の中でくるくるとまわっておりました。
その後ワタクシの中で腰痛もちの第一人者、
「食えるなら死ぬまで食おうケーキバイキング友の会」
会員の友人へ電話をすると。
「とっとと救急車を呼べ。」
呼ぼう。
しかしここで大変な事に気付きました。
部屋のドアまでたどり付けないワタクシ。
カギが開けられません。
人命を救うという大任を仰せつかっている救急隊員のこと。
瀕死の人がいれば自らの命も顧みないヤツラは
ウチの様なカギのかかっている部屋へは。
窓をぶちやぶって入る事も辞せず。
…。
考えましたよさすがにさあ。
だってアナタギックリ腰で窓大破ですよ。
その後の生活どーすんですか。
やむなく唯一私の部屋の合い鍵の持ち主、
ザ・親父を待ちました。
その間やっとサイズオブ事態の大きさに気付いた某人や
連絡の取れた姉に励まされつつ
ヒーターの方へヒーターの方へ足をずらし
10センチ程動かしてはひいひい言いながら
親父の到着を待ちました。
その間2時間。
そして救急車到着後、御近所のおばちゃんたちの
「まあまあどうしたの」やら
「困った事があったら言ってね」の
マッシモなお世話に見送られ担架で運ばれるワタシでした。
あー。
もうそろそろ座ってパソコン向かってるのも限界です。
腰が痛いです。
面白いのはこのあたりまでなので
その後の経過を簡単に言うと
病院では先に救急で来ていたお子様にセンセにはかかりっきりで
アタクシは看護婦さんに痛み止めの座薬を突っ込まれ
「ぁおうふっ」
となったりそれが全然効かず注射を刺されたりの処置のみでした。
結局ようやっと3歩歩いては腰が抜けたりしながらも
歩いて移動出来る様になったので
なんとかその夜のウチに無事家へ帰る事ができました。
寝たきり。
今後仕事とかどうしよう、と真剣に思っております。
あ〜あ〜やっと見つけた仕事だったのに。
や、ここで負けてなるものか。
ぜってえ完治して仕事続けようと思います。
アイルビーバックだこのやろう。
あ、そうそう。
姉に電話が繋がらなかった理由。
「献血してたから携帯切ってた。」
血出しすぎて死んでしまえ。
今日もきもち欄に「でも夕飯作りに来てくれたからプラマイゼロ」
が無いので泣く泣く「普通」で。
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